「この辛い経験はきっと将来の役にたつ」と考えて耐えることは極力しない、この言葉を無責任に他人に伝えないようにしよう、と誓ったのが2009年の夏のことである。もちろん筋トレのように負荷を与えることが確実に筋力増強につながるという、辛い経験が必然な場合もある。また、リターンが見込める、誰かの不利益や悲しみや辛さになるといった結果につながる場合は多少無理をすることもある。
私が決意したのは、明確に得られることのない精神論としての「今は辛いけど頑張れ!辛いけどきっと報われる!」という今の自分への一時的な慰めをやめることである。
ボランティアでの学び
こんなふうに重々しく書くことで、私に何か辛い過去があったのかと思われるかもしれないが、2009年に海外ボランティアではちゃめちゃ生活を体験した際に「後から、今思えばこれも良い思い出だったなって美化しない!」とボランティア仲間に誓ったのだ。
〜 海外ボランティアの思い出はかなり長くなりそうなので別のページに分割しました 〜
誤魔化さない
ただ淡々とその日その日に自分ができることをできるだけこなす。今の辛さを「これはきっと人生における試練だ」「きっと幸せが待っている」といって将来の幸せに変換しない。辛いことは辛いことでそれ以上でもそれ以下にもならない事象として受け入れる。そう考えることが自分にはしっくりきていたと思う。この考えは2011年に実家で被災した際にも役に立っていたような気がする。
今が1番
辛かったことは今思い返しても「嫌だったな、辛かったな」という気持ちしかわかない。「今」嫌だと感じるなら避ける、辛いと感じるならやめる、逃げる、シャットアウトする。あの辛い経験があるからこそ今の私がいるという考えもあるが、本当にその嫌な記憶をすっぽり抜いてしまうと今と異なる私、または今よりも劣った私になってしまうのだろうか。常に今の私が他の世界線の私よりも優れていると言えるのならばそうなのかもしれないが、その前提もその根拠も何も示すことはできない。今の私を気に入っているので、今と異なる私になるのはアンハッピーだとも一概にいえない。
常に「今」の幸せを訴求し続けたら、人生の幸せの総量は増えるのではないかと私は思っている。