フランス旅行記(中編)

体育館に寝泊まりする仲間たち

目的の町Savignyへは、駅から地元の人が運転する車に乗って行く。車の中には同じプログラムに参加するだろうメンバーが何人か乗っていた。家と森が並んでいる景色を進んでいく。宮城県の郊外で育った私は、自宅の周りに住宅街と原っぱと公民館しかない環境に慣れていたのでなんとなく親近感が湧く。バスは市民体育館のような建物に到着した。どうやらここに寝泊まりするらしい。

1階はバスケットコートになっている体育館そのもので、シャワー室やキッチンがある。2階は用具入れや選手の控え室だろうか小部屋がいくつかある。数人のグループに分かれて部屋を使用する。私の部屋は体操用のマットを床に敷いて、個人で持って来ていたベッドシーツをかけて寝る部屋だった。部屋にはイタリア人とスペイン人とウクライナ人と韓国人、そして日本人が1人いた。めちゃくちゃホッとする。

全員到着したということで1階の体育館フロアから呼ぶ声がする。2階は吹き抜けていて体育館フロアを囲むように通路がありその通路沿いに各部屋があり、体育館フロアにいて声を響かせたら各部屋に届くので共同生活にはちょうどいいのかもしれない。1階で自己紹介をしていく。

インド(女)
ジョージアナ
ファシリテーター。町の皆さんとの調整役も務める。
イタリア(女)
キアラ
ティーンエイジャー。主張が激しいわけじゃないのにとてもしっかりしている。おしゃれ。仏語もいける。
スペイン(男女)
ハヴィー アンヘラ
ティーン。2人とも嘘みたいに陽気。スペインのイメージそのもの。歌ったり踊ったり明るい。
韓国(男女)
ジョンウー タエ
みんなより少し年上で陽気なジョンウー。いじられキャラ。強いタエ。同じアジア人だからか物事の捉え方が近いので話しやすい。
日本(女)
トモミ
心の支え。海外メンバーに比べて口数の少なさに親近感を持つ。私もそっち側よとなる。
ウクライナ(女)
マリアナ
いつもちょっと不機嫌そうに見えるけど仕事も役割もしっかりこなす。
トルコ(女)
エスラ ブシュラ イペック
おしゃべりフリーダム3人組ギャル。リーダーっぽい子とその友達という感じでGALSみがある。
フランス(男)
アントワ
基本的に非協力的だが陽気組に話しかけられたら話している。最後までなぜ参加したのかわからなかった。
スロバキア(男女)
ミッシェル ボフスラバ
年上で頼りになるこのプログラムの良心カップル。常識人。仏語いける。もはやミッシェルがリーダー。
セルビア(女)
マリア ニーナ
年上。しっかりしていて積極的でパワフル。

当時書いていたメモを改めて見返した。一向に写真が見つからなくて、なにで撮ってなにに保存したのか思い出せない。もう15年も前のことなのだけど、ぼんやりと顔を思い出せる。

DEAN&DELUCAで売ってるやつ

翌日からボランティアのワークが始まるようだった。グループ分けをして、午前からワークをするグループと午後のグループにわけてローテーション。毎日ご飯担当をローテーションする。これは基本的に国ごとに分けられて、夕食にはその国の料理を振る舞うというもの。私とトモミは唐揚げと巻き寿司だった記憶。食材は週1ぐらいのタイミングでジョージアナが現地の人の車でスーパーに買いに行く。必要な食材があればリクエストを受け付ける。

初日は町長さんだろうか、現地の担当者と住民の方々が庭で立食パーティを開いてくれた。ボトルや段ボールの中にパックが入ってて蛇口がついてるタイプのワインをみんなでひたすら飲んでいる。キッシュとかパイとか、DEAN&DELUCAで一切れずつ買って食べるタイプの料理が、家庭で使われているお皿や調理器具と一緒に出てくると、フランスの生活を感じられて感動した。

昼から夜まで続いていつ解散したかも覚えていないけれど、その日はシャワーを浴びてマットに横になった。

遺跡とは?

翌日、朝ごはん担当がテーブルセッティングや卵を焼いたりパンを用意したものを食堂でいただく。ワークに参加する人は食後ホールに集まるようだった。私は確か午前のグループだった気がする。朝8時ぐらいだろうか、ホールに集まると各々軍手とシャベルまたは草刈り鋏のようなものを持たされる。

現地の担当者に先導されてワーク先まで歩いて向かう。道路や森の道をそこそこ時間をかけて進む。片道3kmぐらいだろうか。ワーク期間の途中から手押し車や自転車が配給されて、道具はそこに入れて手ぶらで歩くようになる。ちょっと疲れたなと思った頃に民家の間にある広大な空き地にたどり着いた。

草はもちろんイバラのような植物がわんさかと生えており、手入れのされていない荒れた土地だった。ここの草刈りをするのがボランティアのワークとなる。

あれ?遺跡は?となったのが韓国人のタエと私。他のメンバーは遺跡という言葉にピンときていない様子だったので、別の内容かまたは草刈りをするプログラムだと事前に伝わっていたのかもしれない。帰ったあとトモミに聞くと彼女もまた遺跡の修復というつもりで来たようだった。

夏の日差しとイバラを舐めていた

午前のワークは12時ぐらいまで続く。お昼が近くなるにつれて夏の日差しが容赦なく降り注ぎ、とにかく暑い。暑いから半袖や短パンになるとイバラが凶暴すぎて傷だらけになる。そして6~7人の人間の手で地道に刈ってもわずかな進捗しか生まれない。

早々にサボり始めるヨーロッパ陽気組&トルコ組。アジア組と真面目組は黙々と手を動かす。ワークから1時間経ったあたりに現地の担当者からクロワッサンをはじめとする差し入れのバスケットが届けられ、木陰で休憩をとる。このクロワッサンがとんでもなく美味しい。フルーツや甘いブリオッシュも入っており、この休憩が至福の時間となり、休憩時間が徐々に伸びていくのだった。

お昼になったら体育館に戻り、お昼ご飯を食べて午後のグループと交代。各々お昼寝をしたり洗濯をして午後を過ごしていく。

4~5日もすぎると、毎日午前と午後で約3~4時間ずつ草刈りをしていたサイクルは、夏の暑さが厳しすぎるからか午後の部は消滅する。午前の8時スタートも徐々に遅くなり10時から約2時間の草刈りへと変わる。全く働かなくなって木を斧で倒そうとし出すフランス人アントワと、徐々に疲弊していく真面目組、とりあえず黙々とこなす日本組。差し入れも乏しくなってくる。クロワッサンが恋しい。

日本人のファッションを代表してしまった

午後からの労働がなくなったあとはゴロゴロと過ごしたりバスケをしたり本を読んだりした。夕方になると町のコンピューター室みたいな部屋(寝泊まりしている建物とは別の建物の一室にデスクトップパソコンが数台置かれている)が解放される。この町にはタウンWiFiが無いので、インターネットに飢えたトルコ人と私は入り浸るようになった。怠惰な空気が流れ始めた頃、午後にリヨンへ出かける予定が立てられた。ちょうどこの日の日記が残っていた。

8/4 今日はワーク後リヨンへ。ショッピングセンターみたいな駅ビルみたいな場所へ。団体行動にも疲れ、のんびりしたかったのでトモミとタエと観光へ。川のほとりは日陰が涼しいが、日差しがくそ暑い。セーヌ川?の方まで行くのも面倒になってきてしまったので、2人と別れて1人で集合場所の駅方向に向かいながら歩く。川の横の道を自転車やローラーブレード、セグウェイが走っている。セグウェイが3台走っていた。駅に近づくとジョンウーに遭遇。ショッピングセンター内にMangaがあるよと教えてもらう。日本の漫画はComicじゃなくてManga表記で、少年ジャンプ作品はSyonen表記になっていた。サイコも置いてあった(高校時代に部室で回し読みをしていた)けどフランスでも受け入れられる内容なのだろうか。 キアラ(イタリア人)から日本人のファッションはわからないと言われる。私はあなたのようにTシャツスパッツサンダルだけでおしゃれに見えるようには造形ができていないんだよと思いつつ、今日から重ね着をやめる。

私のファッションがまずかったことにより日本人全体のファッションのイメージを落としてしまったことを謝罪します。

「マッサージ!!!」

共同生活が1週間続いてくると、緊張感がなくなった分、細かい不満点が出てくる。ボランティアワークの時間が縮小するにつれて自由時間が増える=暇を持て余すようになってくる。近所のお宅のパーティに呼ばれたり、街の観光名所のようなところに連れて行ってもらうが、アジアから来た我々にとっては物珍しい風景もティーンやギャルたちにとっては退屈に思えるのだろう。

こういう時こそファシリテーターのジョージアナや、その他誰でもリーダーシップを持ってみんなで何かやろう!という動きをするタイミングなのだろうが、ジョージアナの求心力の弱まりと地味に蓄積している日々の疲労、それを回復しきれない状況が重なり泥沼化していく。私はというと常に人がいる環境に疲れ始め、なんとか1人でインターネットをしたり動画を見たりして過ごす時間を捻出したいと思い始めてくる。

きっと見えないところでジョージアナは町の担当者たちとやりとりをしていたのだろう、午後は何をするか、車はどうするか、かかる費用はどうするかなど。最初の頃は草刈りにも参加していたが徐々に姿を見せなくなる。ある日、2階の部屋でゴロゴロしていると1階の体育館フロアから「マッサージ!!!!」というジョージアナの大声が聞こえてきた。なんだなんだと思っていると何度も「マッサーージ!!!!」と叫んでいる。下を覗いてみると、酔っぱらっているテンションでマッサージをしろと駄々をこねている様子だった。ジョンウーかハヴィーかアンヘラか、体育館で遊んでいた人々が肩揉みや背中を押してあげていた。

あれはなんなんだ?やれやれ…という顔の女子たち。この日に限らず「マッサージ!!!」の雄叫びが時々聞こえるようになる。

食料不足問題

酒を飲むたび「マッサージ!!!」と叫ぶジョージアナの求心力はさらに弱まってくる。食料の買い出しやお金の管理はジョージアナの担当だったが、明らかに日々の食料が足りなくなってくる。朝の主食はパンやシリアル、副菜はサラダや卵やベーコンなのだが、食材調達から2~3日目には主食も副菜も底をついてくる。昼や夜もなんとかパスタで底上げしつつ肉を見なくなる。購入する量と消費量が見合っておらず、憶測ではあるけれど予想外に発生した午後の出費によって、食材を購入するための予算が足りなくなってきているようだった。または購入すべきものの優先順位付けがうまくいっていなかった。

食べ盛りも多く、草刈りをしてきたあとに食事で回復したいところだけれど食料が無い。キッチンで食料を探してうろうろしている人をよく見かけるようになった。

タエとジョンウーの離脱

「マッサージ!!!」が始まったあたりで韓国人のタエは、このプログラムが事前の説明と異なることなどを理由に離脱を決意。離脱ができるなんて考えてもいなかったし、ジョージアナにもいろいろ引き止められたようだけど、ちゃんと自分の考えをもって行動に移せるタエをすごいと思った。このあたりから「私は誰かの命令に従ってこの生活をしているのか?」と考えるようになる。

ジョンウーはどういう理由があって途中離脱することになったのか定かではないが、ボランティア期間残り1週間とちょっとあたりでお別れとなる。ムードメーカー兼話しかけやすい存在を失い私の中では暗雲が立ち込めていた。心の支えはトモミだけだったが、なんとなく、こういう場で日本人同士で固まったり日本語で話しまくったりしてはいけないのだ…楽さに逃げてはダメなのだ…と自分にルールを課していた。

プールと水着

午後の予定に「プールへ行く」という選択肢が加わった。人数に制限があるためグループに分かれて交互に行く日を分けたり、希望者を募って行く日があったりした。このプールの記憶も曖昧で、日本から水着を持参していったので一度ぐらい着たとは思うのだが、プールがどんなものだったか思い出せない。私もトモミももちろんビキニタイプじゃなくてワンピースタイプの水着で「そうだよね〜」となっていた記憶がある。ヨーロッパ勢はオールビキニかと思っていたが、確かウクライナのマリアナもワンピースタイプで親近感が湧いた。プールには行かず体育館周辺で水遊びか何かした際の記憶かもしれない。

やはり私は頑なにプールに行かなかったのだろう。元々の性質か、徐々にメンタルが崩れていたのか、とにかく1人になりたい1人でゆっくり過ごしたい、他人と関わらない時間が欲しいという思いが強くなっていた。

どうしても行きたくない私と過呼吸

ある時「一泊でどこかに出かける」という話になった。プールのように希望制ではなく全員となっているようだった。そこで私は「私はどうしても行きたくない。1人でいいからここに残る。」という空気を読まない考えをジョージアナに伝えた。

自分がファシリテーターだったら、泊まる人数の変更はできるのか?1人残して何か事故が起きたらどうするのか?事故ではなく事件が起きたらどうするのか?監督責任はどうなるのか?なんでそんな面倒なことを言うのか?なぜ非協力的なのか?などかなり頭を抱える、いや絶対連れて行くしかないと考えるだろう。ジョージアナもそう考えた。私に真っ当な理由があればいいのだが「とにかく行きたくないし1人になりたい」意外の理由がない。普段ならちょっと気が進まなくても我慢して行けるだろうし、絶対に行かなくて済む理由を嘘でもでっち上げてしまうのではと思うのだが、やはり精神的に限界が訪れていたのかもしれない。

ヒートアップするジョージアナと(ファシリテーターの責任を考えればこれに関してジョージアナは全く悪くない)1人で過ごしたいから行きたくない私の言い合いは、自分の気持ちを日本語でも詳細に説明できない、ましてや英語ならなおのこと言葉に詰まってしまった。そして息を吸い込んだと同時に「ヒッ」と声が漏れてみるみる過呼吸に。息苦しさと不甲斐なさで涙が出てくる。ちなみに中学の部活中に何回か過呼吸になった経験があるので、これは過呼吸であることとどう対処すればいいかはわかっていたが、はたから見ると大惨事である。ヒッヒッヒッと苦しそうに呼吸しながらボロボロ涙を流している女。

慌てるジョージアナと動揺するメンバーたち。ごめんなさい、大丈夫よ、とハグするジョージアナ。本当によくないことなのだが、この醜態を晒したおかげで要望が通ってしまった。20歳にもなった女が子供のように泣いてわがままを通す。プライドも尊厳も全て失ってあと数日どんな顔をしてみんなと過ごせばいいのかわからない。過呼吸女を介抱してくれるトモミに大丈夫だということ、どうしてこうなったのかの説明などしているうちに落ち着いてきた。トモミからジョージアナにも伝えてくれるという。同室のキアラや、トルコのギャル3人も「大丈夫よ」とハグしていろいろ話してきてくれる。海外ドラマでしか見たことないシーンだ…と思いながら己のダサさを恥じる心よりも、人の優しさに感謝する心が上回る。

8/12 今日は朝夕ひもじいです。昨日大泣き+過呼吸の失態を晒したおかげでトルコの3人と仲良くなれた気がする。みんなともっと話そうと思う。みんないい人で泣けてくる。ワークキャンプは本当につまらなくて帰りたくて嫌だけど、いい人たちに会えたことまでは否定したくない。

結果的に、みんなが出かけたあと全ての出入り口を内側から施錠し外には出ない、緊急連絡先として現地の担当者の電話番号を伝えられ(iPod touchしか持っていないため建物内に電話があったか電話を貸してもらったか)、約1日の1人時間を手に入れた。

フリーダムフリータイム到来

とにかく寝るし、ダウンロードしてきた動画を大音量で見たり、漫画を読んだり、音楽を流して歌ったり、寝巻きでお菓子を食べたり、人目を気にしてできなかったことを一通り行う。他者との会話やコミュニケーションで救われたばかりだったのに、何も言葉を発さなくていいこと、人のことを気遣わなくていいこの瞬間こそ、私が待ち望んでいた自由な時間だ!と最大限に楽しんだ。今になって思い返すと、一泊の旅行も行ったら行ったで絶対楽しかっただろうと思うが、当時の私にとってはこの選択で良かったのかもしれない。

ボランティア期間の終了と決意

フリーダムフリータイム終了後、帰ってきたみんなを見て1日ぶりの懐かしさを感じつつ、私の精神もすっかり落ち着いていた。相変わらず食料は少なく、草刈りは夏の植物の再生力を前に無意味さを感じていたけど、行き帰りの道のショートカットを見つけたりして過ごしていた。みんなと話せることも増えてきて、イタリア人のキアラは日本にも行ったことがあり、海苔が美味しかったけどイタリアでは食べる人が少ないこと、茹でたパスタは一度流水でしめた後に熱した油を上からかけることを知った。あとおしゃれなピアスをくれた。

トルコのイスタンブールには絶対に行くべき!フランスよりおすすめ!なにしろタウンWiFiがめちゃくちゃ強い!と熱弁してくれたギャルたち。スペインのアンヘラが陽気さのわりに意外とシャイで、妹っぽい可愛らしさがあった。最終日が近づき、同室メンバーにウクライナの工芸品だったか置物だったかをくれたマリアナ。ストレートな可愛さじゃなくてムスッとした顔の人形でマリアナに似ていて笑った。

このころトモミと話していて、「このキツい経験が後の自分のためになる」とか「あれも良い経験だったよね〜と美化すること」とか、そういうのはこのボランティア内容に関して絶対しないという決意をした。草刈りはあくまでも草刈りで、今自分が感じるキツさは後からどうなろうと肯定されるものではないのだ。タエやジョンウーのように、有限な時間を我慢ではなく自分の幸福のために使う選択ができるようになりたい。

ボランティア終了後はパリまで一緒のルートだったので、トモミと「パリで打ち上げに美味しいアイスを食べよう」と誓う。

また会えたら

パリに着き、終わったー!お疲れー!と駅ビルのようなところに入っていたアイスクリーム屋を発見し突撃。脳が痺れる甘さ!3週間長かった!他のメンバーのメールアドレスやSkype ID(この頃はSNSのアカウントを交換することがなかったのかな)をメモしてあるものの今に至るまで連絡はとっていない。トモミに関してもメールアドレスの交換や大学の話をしていたはずだが連絡先が見つからない。外語大だった気がするけどどこだったか…苗字も「塩」がついていたような…。いつか叶うならトモミと思い出話がしたい。

追記:当時の写真を見つけた

当時使っていたメールの受信箱をあさっていたら、セルビアのマリアから写真が届いていた。そうだった、マリアとも結構話したりしていたなとか、コルビュジエのラ・トゥーレット修道院(ずっとサヴォア邸に行った気がしていた)に行ったりなどしていた。20歳の自分は今の自分が思っていたほど大人ではなく、ただの子ども大学生みたいな風貌をしていたので、そら泣いたり恥ずかしい失態を晒すよなと納得した。あと記憶よりもちゃんとみんなと交流してたみたいでホッとした。

この文章も35歳の自分が思い出して書いているので、だいぶ精神面の脚色があるかもしれない。当時、リアルタイムでmixiに投稿していた文章はもう消えてしまったけど、20歳のストレートで痛々しい気持ちをそのままのっけた変なテンションの記録を、怖いものみたさで読みたいような読みたくないような…。